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隠元橋

朝の隠元橋
隠元橋

宇治川に架かる橋で天ケ瀬ダムから下流に「宇治橋」に次いで大きな橋が「隠元橋」です。
川はこの橋から大きく西に蛇行して「観月橋」の方に流れ淀川に注ぎます。

隠元橋


「隠元橋」の歴史を調べてみました。
岡谷の津」といわれ、平安時代以来交通の要衝として栄えた。
平安中期藤原摂関家の領地となる。
平将門の乱で(935-940)近衛家の所領となる。
中世(鎌倉ー室町)この地に別業の「冨家殿」、羽戸院(はどいん)が江戸時代まで続く。
岡屋の津

中国の渡来僧:隠元は幕府から寺領地を得て宇治川のこの付近で下船、「万福寺」を開く。
以後、「隠元浜」「隠元の渡し」とも呼ばれた。
隠元禅師登岸之地」の碑
隠元禅師登岸之地

「隠元禅師」は
1658年、4代将軍家綱に謁見。日本永住を決める。
後水尾法王、幕府により、宇治市大和田五ヶ庄の近衛家領に役9万坪の寺地を得
400石の援助により、1661年、萬福寺を開創。
1664年、)萬福寺松隠堂に退隠した。

黄檗三筆「隠木即」(「木庵」「即非」)の一人。
美術・医術・建築・音楽・史学・文学・印刷・煎茶式茶礼普茶料理など広く
江戸の文化に影響を与えた。
隠元豆・西瓜・蓮根・孟宗竹・木魚・明朝の書体なども日本に伝えた。

「黄檗山・万福寺」はこの橋より東へ1.4kmほどのところにあります。

1949年から何度か架け替えられて
現在の隠元橋は
7年をかけて、2008年、片側2車線の橋に代わりました。
隠元橋


<補足>
隠元橋より東へ100mほどのところにある碑
「愛宕山大権現」の字がかすかに読み取れますが、このいわれがはっきりしません。
どなたか詳しい方は教えてください。
愛宕山大権現

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